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[アクセス]稚内駅前ターミナルから宗谷バスで約1時間

世界地図に名を残す
 北緯45度31分——稚内の最北端、つまり日本の最北端である宗谷岬はここに位置する。天気の良い日に岬の突端に立てば、宗谷湾の奥に望める島影はロシアのサハリンだ。サハリンまでの距離は約43km。札幌や旭川など道内の主要都市よりもはるかに近い。
 かつて北海道が蝦夷と呼ばれていた時代、この地で偉大な業績の数々を残した人物がいる。19世紀初頭、日本の北辺に20年以上滞在し、蝦夷や千島列島、樺太の探検や測量に活躍した間宮林蔵である。とりわけ樺太が半島でなく島であり、海峡の存在を確認した偉業は、その海峡に「間宮海峡」の名がつけられ、日本人で唯一世界地図上に名を刻んでいることからも世界的な評価がうかがえる。
 また、蝦夷全土を測量し、伊能忠敬の「大日本沿海輿地全図」の北海道部分を完成させていることも、大きな業績として知られている。
 測量技術や移動手段が貧弱で、なおかつ北方に関する知識も皆無という当時の日本にあって、林蔵の仕事は命がけだった。しかし彼が担っていたのは、幕府にとっては避けては通れない国防にかかわる重要な任務。不屈の精神と忍耐力により、林蔵は見事にその任務を果たしたのだ。
 
日ロの平和を見守る姿
 宗谷岬の突端には、日本最先端の地の碑とともに、間宮林蔵の立像が建てられている。これは林蔵の生誕200年にあたる1980(昭和55年)7月に、彼の偉業を顕彰し、次代を担う青少年に、世界へ羽ばたく夢と勇気を培ってもらおうとの願いから建立されたものだ。林蔵が渡樺の決意を秘め、はるか樺太を望見している立像で、栽付袴に羽織、足袋、2本差しと、肩には海上計測用の縄索をかけている。
 冬の厳寒をものともせず、サハリンの島影に視線を送るその佇まいは、日ロ友好最先端都市・稚内で、両国の絆を見守っているかのようだ。
 
子育て平和都市宣言
 日本とロシアはさまざまな歴史上の紆余曲折を経て、現在の友好関係に至った。それは、過去の過ちを教訓にしたからこそである。
 日露戦争の頃、宗谷岬に造られた海軍望楼は、ロシアのバルチック艦隊の動向を監視するためのもの。稚内の明治年代の建築物として唯一現存し、1968(昭和43)年には市の有形文化財に指定されている。
 1986(昭和61)年、稚内市は子どもたちの健やかな成長と世界平和、郷土の平和を願って「子育て平和都市」を宣言。その象徴として造られた世界平和の鐘と子育て平和の鐘は、かつての戦略拠点であった宗谷岬で、多くの観光客を集めている。
 
19世紀初頭、樺太探検や蝦夷地の測量など大きな功績を残した間宮林蔵。宗谷岬の先端に、遠くサハリンへ視線を向ける像が建てられている
旧海軍望楼は日露戦争前に国境防備のために建てられた監視所跡
平和都市宣言をした稚内市民の募金で造られた子育て平和の鐘(左)と、世界の恒久平和を願って造られた世界平和の鐘(上)
「宗谷岬ウィンドファーム」は
1,000kwの風車が57基設置された日本最大規模の風力発電施設
めしあがれ
カニ
春先から初夏にかけては毛ガニ、初夏から秋口まではズワイガニ、冬場はタラバガニと、稚内では一年を通じてそれぞれに旬のカニが味わえる。刺身であっさりと、茹でガニや鍋でコクに舌鼓など、楽しみ方も多彩だ。
タコしゃぶ
宗谷海峡で獲れる真ダコの身は丸々と大きく、甘味が強い。これをしゃぶしゃぶにして食べるという、まさに当地ならではの贅沢。お湯にくぐらせる数秒の時間差で歯ごたえや味わいが変わる繊細な料理だ。

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