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アクセス:JR下関駅からバス9分

“盛者必衰の理”結末の地
 関門橋のたもとの壇ノ浦は、源平最後の合戦の舞台。「平家物語」「太平記」などの古典から現代のテレビドラマまで、平知盛「碇潜(いかりかづき)」や源義経「八艘(はっそう)飛び」など長きにわたって人々に語り継がれてきた伝説の古戦場である。
 1180(治承4)年に源頼朝・頼政らが平氏打倒の兵を上げてから5年を経た1185(元暦2)年、壇ノ浦の最終決戦で、ついに平氏は滅亡した。この戦いの船の数が平氏500艘、源氏700艘、死者の数は5000人を優に超えたともいわれる。
 屋島の合戦から敗走する形で瀬戸内海を西へ下った平氏は防備を固め、源氏を迎え撃つ体制を整えていた。3月24日、明け方から始まった戦いは、海戦に長けた平氏が背水の陣で押していたが、昼ごろ潮が速くなりだすと平氏と源氏の船がいたるところで接触。接近戦になって源氏は次第に挽回し始める。自軍の劣勢を見た源義経が平氏の船の漕ぎ手を射るよう命じたのだ。当時の戦法の不文律を破ったものとされている。
 戦局が源氏に傾き始めると、平氏方から源氏方へ裏切る者も相次ぎ、源氏優勢の色が濃くなる。
 午後になると平氏の者たちは敗戦を覚悟し、源氏の手にとらえられる前に死を選ぶ決意を固める。経盛と教盛、資盛と有盛なども手をつなぎ、ともに入水していった。

壇の浦合戦で滅んだ平氏一門の武将を祀る七盛塚
 

幼き悲運の帝を偲んで
 御座船では二位尼(にいのあま:平 清盛の妻で安徳天皇の祖母時子)が、まだ8歳の安徳天皇を抱いていた。天皇に「わたしをどこへ連れて行くのですか」と尋ねられた二位尼は涙ながらに「波の下にも都がありますよ」と慰め、三種の神器を身につけて海へと身を投げた。安徳天皇の崩御は、歴代最年少である。
 平清盛の政略からわずか2歳で即位し、幼くして悲運の死を遂げた安徳天皇の霊を弔う思いから、壇ノ浦の漁師たちは正座して釣りをするようになったといわれている。
 壇ノ浦に程近い赤間神宮は安徳天皇を祀っており、水天門は鮮やかな竜宮造り。これは“波の下にも都”という二位尼の願いを映したものだという。

カモンワーフ周辺に源義経と平知盛の像が建てられているほか、地元ボランティアが紙芝居「壇ノ浦合戦絵巻」や源平合戦の寸劇を披露。

めしあがれ
ふく
下関を代表する味覚といえば、ふぐ。現地では福を招くよう「ふく」と呼ばれる。ふく刺しにふくちり、から揚げ、ひれ酒、白子など、四季を通じてリーズナブルな価格で楽しめる。
うに
下関は加工うに発祥の地。当地の豊富な海藻を食べて育ったうには評判の味。加工品ばかりでなく、生うにを使ったうに飯などのメニューが、専門店をはじめ市内のあちこちの店で味わえる。
くじら
遠洋捕鯨基地として栄えた歴史を持ち、現在も調査捕鯨の母港である下関。市内にはフルコースから単品まで、いまとなっては貴重なくじら料理を楽しめる店が豊富にある。

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