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 鹿児島港から飛ぶように海面を走るジェットフォイル「トッピー」に揺られること1時間半、海面に大きな島影が姿を現す。本土の南方約115kmの海上に南北に横たわる種子島だ。鉄砲伝来の地、ロケット基地の島として全国的にその名を知られている。
 島の表玄関である物流拠点、西之表港や、観光船の寄港地として整備が進む島間港など、四方を海に囲まれた島の港が果たす役割は大きい。
 自然と歴史が息づく種子島の港を訪ねた。


(写真:鹿児島県土木部港湾課)

種子島の海の表玄関、西之表港

西之表港は資材や生活物資の流通拠点になっている

本土との間を1時間半で結ぶ「トッピー」

フェリーは島民の貴重な海上の足だ
トビウオは種子島の味として全国的に有名
埋立地の輪郭が徐々に姿を現してくる
西之表港の築港はここ旧港地区から始まった
旧港地区には江戸期の波止が残っている

開発が進む種子島の海の表玄関
西之表港

 昨年9月、種子島を記録的な大雨が襲った。島中の道路が土砂崩れによって寸断され、55棟が床上まで浸水、6棟の家が倒壊した。島を訪れた3月末も、島の道路では修復作業が続けられていた。道路や家屋ばかりではなく、田畑や上下水道も大きな被害を受けたという。こうした復旧作業に必要な資材や消毒薬剤などはそのほとんどが船舶によって島にもたらされる。西之表港に接岸したフェリーから貨物や生活物資が次々と積み降ろされる様子を見ながら、港は島にとって欠かすことのできないライフラインである。

 種子島の海の表玄関、西之表港は島の西岸北側に位置し、天然の良港として古くから栄えていた。

 一帯は「赤尾木」と呼ばれ、種子島氏の城下町として島の拠点になっていた。赤尾木とはイチジク科の植物だが、いまでも島内の至るところに同属のガジュマルの木が見受けられ、南方独特の植物相を見せている。ちなみに種子島は「多称島」の文字で表され、古来から大和国家との交流があったことが古事記、日本書紀にも記されている。

 近代の西之表港の整備事業は昭和28年、鹿児島県の管理港湾に指定されたのを機に本格的に始められる。昭和35年には重要港湾に指定され、現在まで隣の屋久島や本土を結ぶ物流拠点として大きな役割を果たしている。

 その西之表港中央地区で新たな港湾整備が始まっていた。鹿児島県熊毛支庁土木課の平田正昭技術主幹にお話をうかがった。「現在供されているフェリーふ頭用地周辺にある野積み場や駐車場が手狭になってきたこともあって、西側を埋立て新たな港湾施設用地を確保する計画です。護岸に使用するケーソンは鹿児島で製作されここまで曳航され、全9函のうち現在までに8函が設置されました」。ジェットフォイルの浮桟橋から西に伸びる西防波堤の突端から北側に向かってケーソンが並んでいる。すでに三角形の埋立地が容易に想像できるまでに工事は進んでいる。「島の西側は冬場は波がとても強く、また時間的な制約もあって工事は大変です。でもこの港湾計画によって船の大型化にも対応でき、安全性も確保した新しい西之表港ができるはずです」(平田主幹)。西之表港の港口は全長905mの沖合防波堤と500mの南防波堤に護られているが、その堤体に勢いよく砕ける波を見ると工事の困難さがうかがえる。しかし計画では緑地や新しいターミナルも整備される予定で、平田主幹の言葉通り大型の観光船やフェリーが寄港する新たな西之表港がその姿を現すことだろう。

 港の北に位置する旧港地区は西之表港発祥の地、中央地区とは対照的に静かで穏やかな佇まいを見せている。種子島の海岸は暗礁が多く季節風も強いことから江戸期には停泊中の船でさえ難破することがあったという。そのため波止が築かれていた赤尾木の港(前ノ浜)の修築も島民の宿願だった。安政の頃、この地を治めていた第23代島主種子島久道の妻、松寿院は波止の修築計画を実現すべく薩摩藩に嘆願を繰り返した。藩もその重要性を認め援助を決定し、1860(万延元)年に島民の総力を結集した港湾整備が始まった。工事に供された船、延べ7,200隻、人夫23,000人という一大港湾計画だ。足掛け3年の工事が完了し、南北から伸びる二つの石積み波止が完成した。堅牢に築かれた波止は、現在漁船の船溜りとなっているこの港区をいまでも護っている。

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