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輪島塗の行商を通じて
全国の文化が出会う町


 輪島を代表する伝統工芸、輪島塗がいつ始まったのか、はっきりしたことはわかっていないが、能登半島からは約6800年前(縄文時代前期)、の漆塗櫛が出土している。つまり、そのころから漆の樹液が利用されていたわけだ。

 漆は作られた年代を特定するのが難しい。現在、年代がはっきりしているもののなかで最古のものが、住吉神社から輪島川を挟んで数分のところにある重蔵神社の朱塗りの扉だ。この扉には室町時代、1524(大永4)年に朱塗りが施され、1768(明和5)年に修復されている。これは本殿の内陣の扉だったもの。じつは重蔵神社は明治末の大火で焼けてしまい、本殿も焼失している。そのときに扉だけ、爆風で海に吹き飛ばされてしまったのだ。火事の数日後、海に浮かんでいるのを地元の漁師が発見。「もしや重蔵さんのものでは」と届けてくれたのだという。

 扉はときどき美術館などに貸し出されるが、それ以外の時は拝殿に安置されている。漆は20年ぐらいたつと鉄のように硬くなるといわれる。500年近い歳月を経ながら、爆風に吹き飛ばされてなお、漆のしっとりとした美しさが失われていないことに驚かされる。

 重蔵神社に供えられているものは、中央にある2m四方もあろうかという大きな三方(さんぽう)を始め、杯や提灯の留め具に至るまでほとんどが漆塗りだ。いずれも明治末から昭和初期にかけて漆職人が寄進したものだそうだ。

 重蔵神社の周辺には輪島塗の店や工房が集中している。そのうちのひとつ、輪島屋本店にある工房では沈金が行われていた。丁寧に塗った漆の表面をのみで削り、金銀の箔や粉を貼り込んで鮮やかな模様をつける技法である。

 現在の当主、中室勝郎さんは8代目、創業して約200年になるという。輪島塗の特徴の一つは、職人自らが得意先を訪れて、直接行商する「自作自販」であること。店で働く江上(えのうえ)恵子さんが説明してくれる。「今は車でまわりますが、昔は風呂敷を担いで北前船に乗り、全国のお得意さんを一軒一軒訪ねていったんです。そのときに方々で文化や流行を見聞きしては、輪島に戻り『こんなん流行っとるで』と報告する。すると他の職人さんたちがその流行を取り入れていく、といった具合に、そのときどきの最新流行がここでも広まっていったようですね」

 今でこそデパートや地方の小売店に卸している店もあるが、輪島屋本店ではこの直営店と訪問による直販という昔ながらの商いを貫いている。

 こうした漆器を買い求める客には身分の高い人や教養の豊かな人も多く、そんな人々を相手に商売をするには職人も茶道や短歌、琴、生け花といった芸を身につける必要があった。さらに江上さんの言うように行商先で最先端の文化に触れて刺激を受け、輪島の文化をも発展させていったのである。たとえば沈金の技術は輪島の大工、城五兵衛(たちごろべい)が、中国渡来の工芸品を参考にして考案し、その子の専助(せんすけ)(号は雅水(がすい))が京都で学んだ絵画の技法を導入して完成させた、と伝えられている。蒔絵も会津から安吉という蒔絵師が輪島に移住し、その技術を伝えた、と言われている。輪島港は輪島塗という美しい工芸品を通じて、全国の文化交流を促進させる役割を果たしていたのである。

朝市通りからも近い重蔵神社。もとの社殿は明治末の大火で焼けてしまった。今の社殿はその後、大きな屋敷の部材を転用して建てたもの

重蔵神社に安置されている漆塗りの扉、年代が確認されているものの中では最古のものである

輪島塗は厚く丈夫なので、自在に模様を彫り込むことができる

穏やかな港で出航を待つ漁船。防波堤に守られて、日本海の荒波はほとんど伝わってこない

輪島と曽々木との間にある高州山から見下ろした輪島港。昭和26年、全国に36ある避難港のひとつとして指定を受けた

輪島駅前にある馬場崎商店街では「輪島まちづくり協定」が結ばれている。道路からセットバックして細い格子のある建物が並び、輪島らしい統一感ある町並を創出する

曽々木海岸の名勝天然記念物「窓岩」。巨大な岩に窓のように穴があいている。付近は夏になると海水浴客でにぎわう

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