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能登半島の先端、日本海に面しておだやかな入江を持つ輪島港は、
海道を行く多くの船を守ってきた。
ここに出入りした数々の船は富ばかりでなく、全国の文化をも伝えている。
輪島塗に代表される華やかな文物を育んだ輪島港の今を歩く。


輪島港に近い門前町に残る船問屋、角海家の蔵と住宅を囲む長い塀。北前船で栄えた当時を思わせる豪勢な構え

船問屋、久保屋喜兵衛が住吉神社に寄進した鳥居。11のブロックに分割されて船で運ばれた


「昔はこの住吉神社の近くまで海だったんですよ」と住吉神社の宮司、浅井脩さん。鳥居を寄進した久保屋喜兵衛の子孫とは同級生だ

輪島の北にある曽々木海岸。天候によっては、岩を砕かんばかりに激しい波が打ち寄せる

神社に壮麗な鳥居を残した
海の豪商たちの活躍ぶり


 能登半島の先端に位置する輪島港は古くから風待ち港として利用され、「親の湊」とも呼ばれた港だ。

 輪島港には平安時代から船が出入りしていた記録が残されている。鎌倉時代末期に定められた海の古法「廻船式目」に記された「三津七湊(さんしんななそう)」にも輪島の名前がある。輪島港が当時から日本を代表する港の一つとして認識されていた証拠である。1672(寛文12)年に西廻り航路が開かれると、輪島を始めとする能登半島の船主たちは、北前船に物資を大量に積載してこの航路を往復し、日本各地で交易を行って莫大な富を得た。

 その海の豪商の勢いをしのばせるものが、輪島港にほど近い住吉神社に残っている。ここに立つ鳥居や灯籠は、輪島を舞台に一世を風靡した船問屋が寄進したものなのだ。鳥居と境内の中程にある灯籠を奉納したのは17世紀に活躍した輪島を代表する船問屋、久保屋喜兵衛。この鳥居と灯籠も小豆島産の御影石を大阪で加工し、船で輪島まで運ばせたもの。ほかに塗り物商を営んでいた稲本屋名右衛門が寄進した灯籠もある。輪島の歴史に詳しい住吉神社の第33代宮司、浅井脩(おさむ)さんに伺った。「そのころは一航海で家が2、3軒建つほどの巨万の富が得られた、と言います。その言葉通り、久保屋喜兵衛は住吉神社のすぐ前に屋敷を構えていて、間口が今ある家の4.5軒分、奥行きは10数軒分あるほどの隆盛ぶりでした。」

 このほかにも輪島には、全国規模で海運業を展開したり、下北半島などへ移住して成功したものが数多い。彼らの財力には想像を絶するものがあったようだ。輪島は北前船が港を通じてもたらした富でも大いに発展した地なのである。

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