![]() |
![]() |
![]() |
数少ない若手の実力派として人気を集める中村卓哉さん |
|
|
||||
|
新進気鋭の水中写真家、中村卓哉さんは昨年まで4年間沖縄に居をかまえ、当地の海の神秘的な美しさと生き物たちをモチーフに、作品を撮りつづけてきました。そして今年、再び東京に拠点を置き、雑誌やカメラメーカーのカタログなどの撮影に加え、テレビやラジオ、イベントへの出演など、より幅広い分野で活躍。忙しい合間をぬって沖縄へも2ヵ月に1度ほどのペースで足を運んでいます。 「沖縄にも拠点を残すことを考えたのですが、向こうに住む仲間が『沖縄にいるあいだは面倒をみてやるから』と言ってくれたので、思い切って引き払いました」(中村さん) すっかり沖縄にとけこんでいるからこそ、安心して離れていられる中村さんですが、そのきっかけとなったのは10歳のころのスキューバダイビング体験。父親が沖縄取材の際、当時、身体が弱かった彼を鍛えるため、同行させたときのことでした。 「ボンベが重くて身動きが取れないのに、父は離れたところからここまで泳いでこいと言う。スパルタでした。でも悪戦苦闘するうちに、太陽が水面を通してスポットライトのように射し込み、きれいな珊瑚に囲まれていることに気づいた。こんな世界があるのかと魅了されました」 結果的には成功だったものの、結構な荒療治。この大胆な「父親」とは、日本を代表する水中写真家、中村征夫氏です。 ダイビング体験を経て、他のスポーツもこなすほど活発な青年へと成長した卓哉さんは、日本大学芸術学部写真科へ進学。卒業後は水中写真家を志望するも、どうすればなれるのか分からず、思い切って父のもとへ弟子入りしました。 「給料3万円で相当こき使われました(笑)」 休日には疲れを癒す間もなく自分の作品を撮りに出かけ、雑誌や新聞などに発表。24歳のとき本栖湖に潜って撮影したブラックバスの稚魚の写真が話題となり、一応プロの仲間入り。しかし、その後もスキューバダイビングのショップで「丁稚奉公」(中村さん)し、インストラクターとして潜水技術を磨いた努力が、今日の彼を作り上げました。 「水中での動きがぎこちないと魚が警戒するんです。それに、水中写真家は被写体をいかに発見するかが勝負。潜りに気をとられているわけにはいかない」 沖縄の海への思いを胸に努力を重ね、若手のホープとして期待を集める彼ですが、賞やコンテストにはまったく関心を示していません。 「命の危険と隣りあわせで撮った作品を、潜水経験のない審査員に評価されるのはどうも…」 また、彼は写真を通じてひとりでも多くの人が海中の魅力に出会い、喜んでもらえるならそれがなによりと考えています。周囲360度が海中のシチュエーションを疑似体験できる海版のプラネタリウムをつくることが夢という中村さん。持ち前のバイタリティで、わたしたちが普段目にすることのない海の魅力をこれからも伝えつづけてくれることでしょう。 |
|
|
||||
|
|
![]() |