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海上に土砂を埋立てて 新たな国土を創造する。 その工法は古来から 様々な技術が開発され、 今もなお進歩を続けている。 その一つに 「浮桟橋埋立工法」がある。 巨大なステージを洋上に浮かべ、 その上を大型ダンプトラックが 走りながら土砂を海に投入していく。 開発のヒントになったのは 軍事戦略の「渡河作戦」。 発想の転換を促したのは 「技術は現場で生まれる」 という一貫した現場主義だった。 |
「渡河作戦」をヒントに生まれた新工法「浮桟橋埋立工法」 石川県七尾市の海岸で電力施設のための埋立工事が始まったのは昭和60年の4月、既に外枠となる護岸も完成し、いよいよこのプールの中に土砂を投入することになった。グラブ船による航路浚渫で発生した土砂を土運船で護岸まで運搬し、護岸の内側に投入する。土砂をまんべんなく均一に投入していくために当初は「フローティングコンベア」が導入される予定だった。文字どおり浮体の上にベルトコンベアを伸ばし埋立地の中を旋回させ、その先端から土砂を敷き詰めていく工法だ。ところが、必要になる機材を護岸内に設置するための起重機船の手配が困難だったこと、さらにこの設備は全国的にも数が少なく、工期に余裕がないため故障時の対応にも懸念があった。当時、東洋建設(株)に籍を置き、この現場を担当していた芝豊明(現株式会社トマック取締役副社長)は「それならば『台船』を造って水面に浮かせ、その上をダンプトラックを走らせて土砂を投入していけばいい」と考えた。これまでに例のない大胆な工法だった。「以前ある現場で台船の上に大型ダンプを乗せて船ごと移動させたという話は聞いたことがありましたが、そのまま土砂投入に活用された事例はありません。そこで思い付いたのが軍隊の『渡河作戦』です」。舟艇や筏などで築かれた仮設の「浮橋」を使って、戦車やジープが川を越える。この戦術が新しい埋立工法、「浮桟橋埋立工法」の発想のベースになっているという。
組み立てられた台船は現地で走行テストに入る。「設計段階で緻密な計算がされましたが、実際にダンプを走らせるとなると緊張感がありました。しかし台船は予想通り30cm程鉛直方向に沈みダンプの荷重をしっかりと支えてくれた。ダンプは連続して浮き沈みする「浮桟橋」の上をスムーズに走りました」と芝は振り返る。ドライバーからは目線もぶれることなく安定して走ることができたと言われ、ホッとしたことを覚えているという。 新しい技術は現場で生まれる現場が技術を磨き上げていく
若かかりしころ4年間外航船に機関士として乗務した後、公害が大きな社会問題となっていた昭和40年代後半に海洋土木の建設会社に入社した。最初に携わったのは汚泥浚渫だった。当時は研究施設もなく、現場で試行錯誤しながら汚泥と格闘する日々だった。新たな技術の成果を自ら現場でカメラを回し8mmフィルムに収める。資料を抱えて発注者のもとに出向き、PRまでこなした。その後、技術開発のセクションの設置と同時に異動した。 建設会社の技術開発はそれだけでその企業の経営に貢献しているとは言い切れない、と自らにも厳しい。「特許や特殊技術を保有しているという理由だけで利益が上がるわけではないでしょう。コツコツ研究していれば究極の技術が産み出されるというものでもない。現場に立ち、その現場に最適な技術を発想するという気持はこれからも変わらないと思います」。あくまで現場主義の開発者は最後にこう語った。 |
七尾の現場で産声を上げた「浮桟橋埋立工法」は芝の言葉を借りるならば、海上に道路を造ったようなものだ。浮いている限り各々の函体はやはり船の仲間とも言えそうだが、全体としては海上に浮かぶ巨大なステージ、「移動用仮設足場」といった趣だ。 浮桟橋埋立工法はその後も進化を続け、現在は「新海2号」が活躍している。陸上と浮桟橋の連結の役割を果たす。新海2号のテール部は曲線を描く構造になっており、浮桟橋はここを起点に180°アームのように旋回する。ダンプトラックが走行する浮桟橋が弧を描くように旋回するため、一つの架橋ポイントからさらに広範囲にわたる埋立が可能になった。新海2号の操作室にはコンピュータと連動した集中制御盤が設置され、ここからダンプに向けて浮桟橋への進入、退出を信号で指示したり、台数や土砂の投入位置もモニターできる。現場で培われた技術はさらに進化を続けている。 |
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