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 つねによりよいものを追求し前進する。それは技術者がもつ本能といえる。目に見えない海中をフィールドとする海洋土木において、技術が開発され成果をあげるまでには多くの技術者たちの葛藤と挑戦の歴史がある。
 「黙して語らず」これを美徳とする技術者たちに敢えて彼らの言葉で海洋土木技術の本質を聞きたい。海洋土木の第一人者がその技術を明かす「Human's Voice」。第1回目は沈埋トンネルのプロフェッショナルに聞いた。
スマイル、スマイル、スマイル!

 夏もまだ真っ盛りという1999年9月の沖縄に、一人の技術者が降り立った。太田信之である。沖縄県で初めての海底トンネルとなる「那覇港臨港道路空港線沈埋トンネル」。幅37m、高さ9m、長さ90mもある函を8基製作し、海底に沈めて接合し長さ724mの沈埋トンネルを構築する。その一番最初になる第一号函の製作の指揮が太田の仕事だった。技術者たちがいま、熱い視線を送るプロジェクトの1つである。

 最初は陸上土木が多かったが、大阪南港(1994年)の沈埋トンネルを手掛けて以来、各地で5件の沈埋函の製作に携ってきた。沈埋トンネルの技術開発のテンポは早く、現場には常に新しい技術、工法が導入される。新技術を頭で理解してはいても実際に施工するとなると事情は異なる。心理的に不安にもなるはずだ。しかし、だからこそ技術者は安全にいい物をつくろうと努力する。不安はけっしてマイナスではない。

 それに太田には、難局を乗り越えるための強靱な精神力が備わっていた。「苦労を楽しむ。それに明るく、です。スマイル、スマイル、スマイル。明るくやればいいアイデアも浮かぶものです」。行き詰まる難工事の現場においても、敢えてその局面に立ち向かっていった。


「端部の施工精度」これが生命線

 函体を製作して海底に沈めてトンネルを構築する基本原理は同じでも、一つとして同じ工事はなく、それぞれの現場で固有の問題が伴う。それを解決するには、経験に基づく独自のアイデアと日ごろの研鑚が欠かせない。

 那覇港沈埋トンネルにもかずかずの最新技術が導入されていた。設計面でいえば鋼殻とコンクリートのハイブリッド構造(フルサンドイッチ構造)、耐熱性と耐震性に優れたベローズ継手、最終函を接合させるためのくさび型接合函などである。多彩な新技術が採用されているだけにさまざまな困難が予想される現場だった。

 通常、函は陸上のドックで製作される。「ところが沖縄県内に函を製作できる設備はありません。そこでまず北九州で鋼殻部分を製作し、それを沖縄まで曳航し、現地付近の海上でコンクリートを打設して完成させるという特殊な方法がとられたのです」。北九州から5日かけて沖縄に曳航してきた鋼殻部を桟橋に係留し、海上で浮かせたままコンクリートを打設する。もちろん、太田にとっても初めての経験だった。

 「海上で打設する時の難しさはバランスです」と太田は説明する。打設するコンクリートは約1万m。「打設順序によって鋼殻が変形してしまうので、何よりバランスを保ちながら打つ必要があります」。函は曲率が大きい方に傾く習性をもつ。「沈む方を先に打っては失敗します。まず壁、次に下部、そして上部という順序で、対称位置に重力バランスをとりながら慎重に打設していきました」。

 しかもこれだけ大きな構造物になると、温度によってその長さも変わってくる。100mの長さだと、2、3cmも伸びるという。もっとも適した長さにつくること、これが意外に難しいという。加えて「これが生命線」といわれる両端部の施工精度は、函の接合時に大きく影響し「たいへん高精度の仕上がりが要求される」部分だ。太田は三次元計測により鋼殻の変形量を常時観測しながら打設することにより、このゆがみを克服し、ミリ単位の精度で仕上げた。

 細かく分かれた函内に確実にコンクリートを充填するため、沖縄では高流動コンクリートが採用された。太田にとっても、沖縄の生コン業者にとっても初めての経験だった。品質管理が特に難しい高流動コンクリートをいかに安定した環境下で製造するかが大きな課題だった。そこでまず「県内の生コン業者と共に、高流動コンクリートの知識(製造と施工)を勉強する」ことから始める。太田の前向きな姿勢に対して生コン業者も必死に応えていった。持論である明るい雰囲気づくりは、学習効果をどんどん高めていった。「おかげでコンクリートの不合格品は0.1%以内におさまりました。予定どおり、約2カ月で打設を終えることができたんです」と太田は振り返る。

 沈埋トンネルの醍醐味の1つは、完成函を浮上させる時にあるという。「いよいよ製作ドック内に水を入れます。すると『ピシッ』というような音がして、瞬間的にパッと函が浮く。あの瞬間がたまりません」。沈埋函は緻密な設計に基づいて絶対に浮くように製作されている。しかし実際に浮かせて見るまでは、どうしても不安になるものだ。それだけに目の前で浮かんだ瞬間は技術者にとって感動とともに至福の時でもある。


神々の世界に一番近い仕事

 太田には長い経験で得た1つの信念がある。それは、「言われた通りの仕事だけをしていてはだめだ」ということだ。その方法ではよくないと思ったら、発注者に対してもどんどん提案をしてきた。「失敗すれば結局、発注者にとっても大きな損害になる」という思いからだ。「苦労を楽しむ。明るくやれば、いいアイデアも浮かびますよ」。意見が衝突したとしても太田には回りを惹きつける不思議な力が備わっている。そして、行き詰まって先が見えないような難工事でも、どこかそれを楽しもうとする心の余裕があった。「これまで部下に恵まれ、運だけで生きてきました」と笑う。確かに技術者として飛躍するには、恵まれたプロジェクトとの出会いが必要であり、そういう意味では強運の持ち主といえる。ただ、それだけではない。太田の言葉の1つ1つには、まるで磁石で運を引き寄せるような不思議なパワーが感じられる。それは建設技術者として歩み始める出発点と関係しているようだ。

 「子どもの頃から天文学少年でしたね。いまも自宅には天文学の本を多く愛読しています」というロマンチスト。その太田が土木技術者を志したのは「神が創造した自然相手の仕事は、『神々の世界に一番近い』という高校時代の恩師の助言から」だった。「自然を相手にするのが土木技術者の仕事です。その自然をうまく利用しなければなりません。でも利用しっぱなしではだめです。だれだって利用されてばかりだと頭にくるでしょう?」利用したらその分返してやる。利用した後はきれいにしてあげるというように、「人」と「自然」が助け合うことを大切にして実践してきた。

 「自然にはウソをつけません。ウソをつかないで努力する、そうすれば最後は神様が助けてくれる。そう信じて頑張ってきました」。ウソをつかないで努力すること。強運と人を惹きつける人柄の陰には、そんな信念と努力があった。

 いま太田には1つの目標がある。これまでの経験を生かして長大函の沈埋トンネルをつくることだ。「ドックで函をつくると、どうしても長さがせいぜい110mくらいに限られます。そのためにはドックではなく海上で造ればいいのです。ドックを使用しませんし、工期も短かくできることで全体としての工事費はさらに大きく低減させることが可能になるのではと考えています」。

 いまや沈埋トンネルの分野では、わが国を代表する一人。それでも神の世界に近づこうとするロマンチストの夢は限りない。

海底の大断面トンネルを経済的に施行する新技術
 沈埋トンネルとは、鋼板やコンクリートで造ったいくつかの函体を海底に沈め、これらをつなぎ合わせてつくる海底トンネルをいう。わが国でも第2次世界大戦前に大阪の安治川で第1号が建設されて以来、これまで30件以上のトンネルがつくられてきた。川や海をつなぐ構造物には、橋梁、シールドトンネルがあるが、沈埋トンネルは工事費が比較的安く、施工が合理的だといわれている。

 いま建設業界でもっとも注目されている沈埋トンネルは、沖縄県に建設中の那覇港沈埋トンネルだ。国際海上コンテナターミナルが整備された海の玄関口「那覇港」と空の玄関口である「那覇空港」を結ぶ新たな幹線として計画された。那覇埠頭港口部を横断して、三重城側と那覇空港側を結ぶ。

 トンネル区間の長さは1
143m、うち724mを8つの函体(約90m)をつないで構築する。沖縄総合事務局那覇港湾空港工事事務所が主体となって建設を進めている。

 第1号函の製作を手がけた太田は、2001年に工事を終えて大阪に戻る。このため第1号函を建設場所に沈設する工事は指揮していない。だがあとを継いだ技術者たちによって、同年10月に3日間かけて曳航・沈設が完了した。その後も函の製作と沈設は続けられ、2008年の完成に向けて工事は着々と進んでいる。

 施工には、海洋土木工事でわが国を代表する企業が名前を連ねている。最新の土木技術を結集した一大事業だ。

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