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江川太郎左衛門英龍(1801〜1855)

 伊豆国韮山の代官で、黒船の来航以前から海防強化の必要性を幕府に建議していた。海防の廟議(和戦の利害、国防武備に関しての検討)にも参加し、会議の中で品川台場の計画が具体化する。砲術家の高島秋帆に入門して洋式砲術を修得、嘉永年間(1848〜1854)ごろには海防に関する第一人者として知られていた。ペリーの来航後に幕閣に起用され品川台場の設計を担当することになる。江川は、日本の近代化に大きな役割を果たした韮山反射炉建設にも携わるなど大きな足跡を残した。



石垣護岸の構造(東京都港湾局作成)



品川台場計画図-黒船来航図絵巻(横浜開港資料館所蔵)
大きさ

 築造計画から見ると品川台場は、埋立量は記されているが、面積については、第2、第5、第7、御殿山下の4つの台場は不明である。これは設計上では土量計算と費用が中心となったことや、台場周辺の長さと角度が示してあるのであえて示さなかったのではと推察されている。海岸に接していた御殿山下台場については埋立量も記されていない。

石積工法

 品川台場工事のハイライトの一つは石垣の構築だった。石垣を積むにはまず石垣の重さに耐える基礎をつくることから始める。品川台場のように軟弱地盤での石垣構築では、基礎杭を打ってその上に十露盤(そろばん)を置き並べ、杭の頭に並べて鎹(かすがい)で固め、この上には土台木(基礎杭の一種)二通り据え付けを行うと記述された文献がある。すでに海中に石垣を築く方法は確立していた。しかし、品川台場ほどの規模の工事は初めて。近年、鉄道工亊にともない、石垣の一部が発掘調査され東京都港区が報告書をまとめた。
 石積み工法には一定の幅で整然と積む整層積みや布積み、規則性にとらわれない乱積みや谷落などがある。第3台場は布積みを中心に一部谷落や乱積みが採用されている。
杭と十露盤による基礎構造
(港区立みなと図書館所蔵)

築造費用

 「旧幕府留記」によると予算の総合計は986,491両3分あまり。その内訳は台場築造費が763,871両2分あまりで、総予算の77.4%を占めた。残りは大筒関係製造費(16%)、大船の建造費(6.5%)である。台場築造費では人件費の割合が40%以上と圧倒的であった。実際にかかった費用は750,296両あまりとコストは縮減された。しかしこれは、12の計画された台場すべてが建設されなかったことによるものである。