『海紀行』人とまちを支える港を訪ねて

『海紀行』人とまちを支える港を訪ねて

今年1月、神戸の港は阪神・淡路大震災から10年を迎えた。
大きな揺れが人々を恐怖のどん底に落し入れ、一瞬にして都市機能は崩壊した。
海の玄関口「神戸港」も例外では無い。
港の復興は新しい港を一つ造るに等しく、何年かかるかわからないとさえ言われていた。
しかし、神戸港はわずか2年で蘇る。
港に向けられた人々の熱い想いと、港湾土木の粋を結集した復興事業の成果である。
そして今、神戸港は豊かなウォーターフロントとして新たな表情を見せ始めている。

神戸港全景(写真:神戸市みなと総局)

神戸港

震災直後から動き始めた神戸港復興

 いつものように人々の営みが始まろうとしている10年前の冬の朝、平成7年1月17日午前5時46分、神戸の街が突如として大きく鳴動した。マグニチュード7.2、震源の深さ14.5kmと推定される地震が瀬戸内の美しい街を襲ったのだ。阪神・淡路大震災である。内陸直下型の地震は神戸と洲本で震度6の烈震を記録、神戸港をはじめ一宮町を含む淡路島、芦屋、西宮、宝塚の一部区域では我が国で初めて震度7の「激震」と判定された。活断層による大きなエネルギーが一挙に爆発し、その振幅は史上最大の18cmに達した。市街地では建物が倒壊し火災による無数の黒煙が上がっていた。海の玄関口である神戸港も例外ではなかった。その当時のことを国土交通省近畿地方整備局
 神戸港湾事務所の斉藤安立(さいとうやすはる)企画調整課長はこう話す。「震災3日目に被害の調査隊の一員として現地に赴き、被害状況を調査しました。『情けない』と言うのが第一印象でした。先輩の手によって長い歴史の中で築かれてきた港が一瞬にして崩壊してしまったんです。言葉を無くし、込み上げてくるものがありましたね」。東西20kmに及ぶ神戸港は壊滅的な状況だった。係留施設では、大型公共岸壁239バースに加え、延べ23kmにのぼる物揚場の大部分が被災し、背後に立地する上屋、野積場、倉庫もほとんどが使用不能となった。外貿貨物の7割を取扱っていた21のコンテナターミナルはすべて破壊され、倒壊したガントリークレーンになぎ倒されたコンテナが積み木のように散乱していた。海岸保全施設も護岸の崩壊、地盤の水没によって防潮機能を喪失していた。港湾の被害総額は埋立地も含めて約1兆500億円に達した。

六甲アイランドのコンテナターミナルでは巨大なクレーンが倒壊(国土交通省 近畿地方整備局 神戸港湾事務所)

神戸港の原点とも言える新港地区突堤の岸壁も崩壊した(国土交通省 近畿地方整備局 神戸港湾事務所)

美しい町並みを取り戻した神戸の町と港(市庁舎からポートアイランドを望む)

国土交通省 近畿地方整備局
神戸港湾事務所 斉藤安立
企画調整課長

クルーズ客船や大型フェリーが寄港するポートターミナル

御影石の護岸が再現された新港突堤