『海紀行』人とまちを支える港を訪ねて

『海紀行』人とまちを支える港を訪ねて

紋別は冬のあいだ雪と流氷に閉ざされる。
漁を終えた船は陸にあがり春を待つ。
そして訪れる北海道の短い夏、オムサロの原野を花が彩り、海辺にはビーチバレーの歓声が響く。
紋別港は四季を通じて様々な表情を見せてくれる。
オホーツクの風雪に鍛えられた紋別港を訪ねた。
港とともに暮らす人たちに話を聞いた。
おおらかで優しく、そして力強い紋別港の姿が伝わってきた。

写真:紋別市建設部港湾課

紋別港

観光拠点と物流港の理想的な融合

 紋別港は昭和50年に重要港湾に指定された網走北部と上川地区の物流を支える港である。また、四季を通して美しい自然と海の幸が堪能できる観光拠点として多くの観光客が訪れている。

 江戸時代、1685(貞享2)年に松前藩の交易の拠点であった「宗谷場所」の一部として開かれた紋別漁場が港の始まりとされている。文化年間に本州の有力商人が請負人として場所の運営を藩から委託されると、物流の拠点として取引量も増加した。船の出入が増えるにつれ、厳しい自然状況下においても安全な航行を可能とする港湾機能の整備が求めらるようになった。明治期初頭に「紋別港築設」の論旨が発表されて以来、大正期にかけて地元住民の築港要請が根気強く続けられる。この間にも木材船の沈没事故や、漁船の遭難事故など大惨事が相次いでいた。大正3年、帝国議会において避難港築設の請願が採択され、同11年に策定された第1期北海道拓殖計画により、悲願とも言える紋別港建設がようやく開始される。昭和6年、現在の港町地区の第1船溜と北防波堤が完成した。その後、昭和30年代に本格的な拡張整備が進められ、現在の紋別港の姿がほぼ整った。

 紋別市建設部港湾課の青木邦雄計画係長に現在の紋別港についてお話を伺った。「現在の紋別は機能的に大別すると3つの区域から形成されています。漁業基地となっている築港の起点である港町地区、5,000t級の貨物船が接岸する第2ふ頭がある新港町地区、そしてオホーツクタワーやガリンコ号などの観光交流施設が集中する港南地区です」。港湾の図面を見ると確かに細長く連なる港域が機能的にゾーニングされていることがわかる。現在−12mの岸壁を持つ第3ふ頭の整備を行っており全面供用も目前だ。また港内の波の静穏度をさらに高めるため、港口部では第4防波堤の建設も進められている。

 紋別港発祥の地とも言える港町地区の船揚場にはたくさんの漁船が肩を寄せあうように上架されていた。冬のあいだ漁師たちはつかの間の休息を味わっているのだろうか。「そんなことはありません。冬場の漁師は、漁船の整備や、漁具の修理、カニやホタテを採るための採苗器作りなど今のうちに終えなければならない仕事が山程あります」と答えた。新時代の漁業について真剣に勉強することも欠かせないと言う。「紋別は漁港としての誇りを持っています。その誇りに応えるためにも港内の整備、老朽化した箇所の補修や静穏度の確保は何ものにも替え難い事業なんです」。青木係長は最後に話をこう締めくくった。

流氷に閉ざされた紋別港第2ふ頭

「紋別には漁港としての誇りがある」紋別市建設部港湾課 青木邦雄計画係長

原木を満載して寄港するロシア船も増えてきた

船は冬の間陸上に上架され「海あけ」を待つ

紋別の物流を担う第3ふ頭の全面供用も間近だ

第4防波堤の築造も進められている

ガリンコ号のドリル状のスクリューが流氷を砕きながら進む

ガリンコ号Ⅱを巧みに操る山井茂船長