『海紀行』人とまちを支える港を訪ねて

『海紀行』人とまちを支える港を訪ねて

 北海道の石狩平野の南に広がる緩やかな海岸線を辿っていくと、陸側に大きく掘り込まれた一角が目につく。道内の港湾貨物の3分の1をカバーする北海道最大の港湾、苫小牧港だ。
 昨年、苫小牧港は昭和26年に開発に着手してから半世紀という節目の年を迎えた。今でこそ大型貨物船が停泊し、大量のコンテナが集散する苫小牧港だが、ここに至るまでには先人たちのたゆまぬ努力と、苦難の歴史があった。

(写真:北海道開発局 苫小牧港湾建設事務所)

苫小牧港

西港区は工業港の趣があり、各種の貨物船が停泊していた

苫小牧港の北に広がるウトナイ湖では白鳥が羽を休めていた

漁港区で人気を集める食堂前で。苫小牧はホッキ貝の水揚げで日本一を誇る

港口にある漁港区。大きくはないが活気に溢れている。スケソウ、ホッケなど新鮮な魚が毎朝揚がる

陸側6kmにわたって掘り込まれた人工の港、苫小牧港西港区

 北海道の空の玄関口、新千歳国際空港から車で約30分ほど南へ苫小牧港を目指して走る。周辺は一面の雪景色の原野、手付かずの自然が残されている。途中にあるウトナイ湖はラムサール条約にも登録された湿地帯の中にあり、この季節多くの白鳥たちが羽を休めていた。この辺りから徐々に市街地に入っていく。国道36号線を西へ向かうと苫小牧港西港区の港口部だ。港口の幅は500mほどで、対岸が間近に見渡せる大きな河川の河口のようだ。しかしここはいわゆる河口港でも、自然の地形を活かした天然の良港でもない。昭和38年から供用が始まった苫小牧港は日本初の掘込港湾として開発された人工の港だ。当時の港湾土木技術を駆使し、ここから東へ約6kmにわたって陸側に掘り進められたという。

 港口にある漁港区のすぐ隣が西港区で最も活気のある本港地区。ここは東京、名古屋、大阪を結ぶ定期貨物航路の拠点として、また北米等からのチップやパルプ、鋼材の集散拠点として活況を呈している。平成9年、北日本で初めての本格的な国際コンテナターミナルも供用が開始された。ヤードに積み上げられたコンテナの山、巨大な貨物船、休む事なく稼働するガントリークレーンから苫小牧港のエネルギーが伝わってくる。本港区は3つのフェリーターミナルも擁しており、まさに北海道の海の玄関口、苫小牧を象徴するようなエリアだ。

 ここから港に沿って走る臨海北通りを東へ向かう。対岸を含めて臨海工業地帯を構成する真古舞地区と呼ばれる一帯だ。金属、製紙などの工場や木材工業団地が連なる晴海ふ頭及び中央北ふ頭と、その対岸の穀物、製油、発電施設が集中する中央南ふ頭はこの一帯に進出する企業の専用ふ頭になっている。

 臨海北通りを右折して南へ向かうと臨海東通りで、ここが掘り込まれた苫小牧港の最奥部になる勇払地区だ。周囲が掘り広げられ、大型の貨物船も余裕をもって航行できるようになっている。自動車、化学、製鉄などの企業が進出しその専用ふ頭と公共ふ頭にはやはり大型の貨物船が出航の時を待っていた。

 ほんの500mも行くと再び右折して臨海南通りに入る道へ導かれて行く。ここから先程の中央北ふ頭の対岸にあたる中央南ふ頭を西へ向かうことになる。港口部にたどり着くとその先は石油配分基地が占めている。そのすぐ南側は広大な太平洋だ。

 細長いUの字を辿るように西港区を走ったことになる。この広大な西港区が人の手によって砂浜を掘削して造られた港である事実に改めて驚かされた。