『海紀行』人とまちを支える港を訪ねて

『海紀行』人とまちを支える港を訪ねて

日本列島を地図上で俯瞰すると、日本海側では海に向けて鍵型に伸びる能登半島が一際目につく。
伏木富山港はこの能登半島に大きく覆われた富山湾の南側にひろがる広大な港湾だ。
日本海に面していながら、能登半島に風波を遮られ、波穏やかな天然の良港として古くから栄え、現在でも陸路と連携しながら日本の物流を支えている。

(写真 富山市)

伏木富山港

三つの港湾から形成される環日本海交流の拠点

 港湾法で、「国の利害に重大な関係を有する港湾で、政令で定めるもの」を重要港湾といい、そのうち国際海上輸送網の拠点として特に重要であると認められた港が、特定重要港湾である。日本海側で指定されている特定重要港湾は二港、新潟港と今回訪れた伏木富山港だ。ともに日本海の海運を支える拠点である。

 伏木富山港は、能登半島に保護されるように覆われているため風波の影響が少なく、さらに港口に海底峡谷が連なることから古くから天然の良港として栄えてきた。港は富山湾に沿って湾岸の三市にまたがり、富山市の富山地区、新湊市の新湊地区、高岡市の伏木地区の三地区から形成されている。地元ではそれぞれ富山港、富山新港、伏木港、と呼ばれ、互いに連携しながら地域の物流、産業を支えている。

 三地区合わせて水深10m以上の大型岸壁を16バース有し、定期コンテナ航路はロシア、韓国、中国、東南アジア間の4航路が月25便体制で運航されている。国内へは各高速自動車道と連携して、大阪、名古屋、東京の三大都市圏と直結するネットワークを形成し、東海北陸自動車道、中部縦貫自動車道等の整備によりさらなるアクセスの向上が期待されている。

 海上輸送の多様化、環日本海交流の活発化に対応すべく、21世紀の「環日本海国際港湾」を目指し、積極的に港湾機能の拡充が展開されている。後背地に工業地帯を擁する近代的な港としてのイメージが定着している伏木富山港だが、町を訪ね、歴史をひもとくとそこには万葉の文化や、独特な商業思想などさまざまな港の表情を垣間見ることができる。

 湾岸線を東から西へ向けて、三つの港を訪ねた。

大型船の出入港でにぎわう新湊市の富山新港

富山湾は深い海が海岸近くまで迫り、複雑な形を形成している。海底斜面に刻まれた深い谷は「あいがめ」と呼ばれている

港にはロシア船籍の貨物船が目立つ。原木などの資材を運び、自動車や生活物資を積んで帰っていく

大伴家持はかつて渋谿と呼ばれた雨晴海岸に「馬並めて いざ打ち行かな 渋谿の 清き磯廻に 寄する波見に」という歌を残している