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中土佐町の久礼港

カツオの名産地は?
 食欲の秋がやってきた。秋の味覚のひとつに挙げられるカツオだが、では、カツオの産地といえば? と問われたら、皆さんなんと答えるか。大方の答えは高知県ではないだろうか。実は、水揚量を基準にすると、全国約29万tのなかで高知県は2万tに満たない程度で、主なところでは静岡県が約7万t、その他、三重県や宮城県が多い。

 ただし、名産は量ばかりで測られるものではない。味はもちろん調理法、特に藁を燃やしてタタキにするという独特の調理法が、高知県をカツオの名産地として知らしめることになったことは確かだろう。そして、もうひとつ、これも確かと思われる要因がある。昭和52年から「ビッグコミック」で16年間にわたり連載された大ヒット漫画「土佐の一本釣り」の影響である。
 
「いごっそう」が愛した港町
 この作品は、中土佐町久礼を舞台に、中学校を卒業しカツオ船に乗り組んだ、純平という少々古風でケンカっ早い少年が主人公。海に生きる男たちのなかで悩み、壁にぶつかりながら一人前の漁師になっていく姿をさわやかに描いた。1歳年上の恋人・八千代との愛や周辺の人間群像、土佐の純朴で豪放な風土などが、人気を呼び、映画化もされている。

 舞台となった久礼港は、小さな港だが、漫画の影響でカツオ漁の基地として知られるようになった。高知市から南西へ47km、東は土佐湾に面し他の三方を山に囲まれた中土佐町では、山々の尾根の先端が太平洋に突き出して複数の岬を形成し、岬のあいだには小規模な天然の良港が点在する。久礼港はそのうちのひとつだ。地元のカツオを「日本一」と自負する町の中央には、地物の魚が並ぶ久礼大正町市場があり、町の台所として大勢の人々が集まる。そんな風景が毎日見られる、生粋の漁師町である。しかし、久礼港のカツオの水揚量は年間わずか200〜300t程度。実際は椎茸や木材の流通をメインとした商業港である。県内にはれっきとしたカツオ漁港はいくつもあるにもかかわらず、この港町が作品の舞台に選ばれたのは、作者である故・青柳裕介氏の「いごっそう」(高知の方言で頑固者)を地で行ったこだわりである。
 
漁師の日常を作品に
 氏が久礼の町を評したコメントはいくつか残されているが、そのなかに知人の結婚披露宴のスピーチがある。式を挙げ、披露宴会場へ向かう道中、先頭を行く仲人が「嫁見よ〜、婿見よ・嫁見よ〜嫁見よ」と大声を上げる風習を取り上げて、「『見とうせや、こんな可愛い嫁が来たき、えいかよ、みんなあ、この嫁を大事にしちゃってよ』という意味が込められているんですよね。ですから道行く人も家から出てきた人も皆、微笑みながらうなずいているんです。久礼という町はそんな所です」と、好意をあらわにした。
 氏は、土佐山田町に居を構え、中土佐町に部屋を借り、久礼の漁師たちと酒を酌み交わし、ときにはケンカをして、漁師の生活に溶け込みながら創作に打ち込んだ。地元の漁師にいわせれば「土佐の一本釣り」は、半分はノンフィクションとのことだ。
 氏の作品や久礼の町には、高度成長が成熟し、合理化一本やりの日本社会からこぼれ落ちた、しかし、多くの人が心の底でうなずく人間の姿がある。でなければ「土佐の一本釣り」の大ヒットは説明できないはずだ。
 
漫画家 青柳裕介 Aoyagi Yusuke
 
1945(昭和20)年、高知県香美郡野市町に生まれる。中学卒業後、板前をしながら漫画を描き、’67(昭和42)年に漫画雑誌COMに「いきぬき」でデビュー。2年後に第二回COM新人賞を受賞し、漫画家へ完全に転向。その後「鬼やん」「土佐の一本釣り」などのヒット作を生んだ。「土佐の一本釣り」は’77(昭和52)年に連載開始。「Part・純平」を含め16年間の長期連載となり、映画化もされた。小学館漫画賞、県出版文化賞、中土佐町名誉町民賞受賞。2001(平成13)年、56歳で逝去。

(C)青柳プロダクション/小学館
久礼湾を見渡す海岸に建てられた青柳裕介氏の石像。

中土佐町「土佐の一本釣り」の足跡
土佐久礼駅や町なかで純平と八千代のイラスト看板を見ることができる。
 
青柳氏の墨跡によるカツオ供養碑。

[写真提供・取材協力]中土佐町役場
[参考資料]「故・青柳裕介に捧ぐ鎮魂歌」(『青柳裕介の石像を建てよう会』実行委員・中土佐町)

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